オレンジみたいに

「詩人たちの小部屋」への投稿の記録と雑記など

善でもなく悪でもなく ―あの日の診察室―

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

もう10年前のこと。僕は強迫観念の治療のため、精神科に通っていた。担当の医師は、ねめつけるように目を見てくる癖のある30歳(本人がそう言っていた)と若い男だった。しかし同時にまた、彼にはいかにもガリ勉っぽいうだつの上がらない感じもあり、精神が幼かった僕は、萎縮しつつも、「こんな奴に」となめた感じも抱いていた。

その日は通い始めてから4、5回目くらいの診察で、周りの人たちの話も聞きたいという彼の要望により、前回の父に続き、僕は母とともに診察を受けていた。

今の自分からすれば考えられないのだけど、僕は彼が母に聞き取りをしている間、椅子を後ろに引いて、いかにもといった感じのだらけた座り方をしていた。

僕は彼に反抗をしていた。父と同席した前回の診察のとき彼は、親との関係を尋ねられて愚痴を言った僕に対して、「親の言うことはいかなるときでも正しいんですよ」と言ったのだった。そんな彼に対する反抗心と彼をなめた感情が結びついた結果として、僕の座り方はだらけたものになっていたのだ。

彼はそんな僕に応戦してくる。なめた態度にはなめた態度でというところだったのだろう、彼は「もっと寄ってきてくれやんと寂しいわあ」と言った。しかしそれは一本目の矢にすぎなかった。続いて彼は言い放った―「そんなに暗あしてたら、寄ってきてくれるのは犬だけですよ」―



その言葉は、以降の10年間、僕に呪いのように作用し続けた。その言葉を思い出すたび、僕は自分が根幹から価値のない人間だという感覚に襲われた。そうした折り、僕がとる対処法はいつも同じだった。それは、彼を利他心に溢れた善人だと思い込もうとし、そんな方に、暗くしているのは良くないことだと教え諭していただいたのだという風に、あの場面を捉え直すのだった。

しかしそれにはやはり無理があった。冷静になって考えるなら、利他心も多少はあったかもしれないにせよ、彼は十中八九、憤りから皮肉を言ったに違いなかった―「おれをなめるな」という憤りから。もっと言えばあの皮肉には、僕をなめていることから来る悪意めいたものも含まれていたと考えるのが自然だ。でなければ、あそこまでの言い方はしないはずだから。

今から振り返ると、僕は彼を善人か悪人かの二分方で捉えてしまっていたのだと思う。しかし彼は、他の人間と同じように、善も悪もともに含んだ1人の人間にすぎなかったのだ。

たしかに彼は僕をなめていた。しかし同時に、彼は僕に敬意を払ってくれてもいたのだ。事前に本やネットで仕入れた知識をもとに、僕は彼の処方とは違う処方を欲しがった。そんなとき、僕は、「じゃあ○○を~mg出しときますね」という彼に対して、ムスッと押し黙るのだった。彼はそんな僕に対して声を荒げるでもなく皮肉を言うでもなく、しぶしぶといった風ではあったものの、「やっぱり、自分が納得のいくものを飲むのがいいと思うんですよね」と言って問うてくれるのだった―「何かこれだという薬があるんですか?」

彼は僕という人間を、たんに見下していたのではなかった。そのことを、この今ようやく理解できた気がする。

たぶん、あまりにあの皮肉が強烈だったものだから、根底から見下されているという感覚が抜けきらなかったのだと思う。しかしよく言われるように、言われた方が気にするほどには、言った方は考えていないのだろう。

いま僕は思う。彼はあのときの言葉は、いわば脊髄反射のようなものにすぎなかったのだと。あれは根本的な悪意の現れではなく、僕と同じく不完全な1人の人間の、雑多な感情のいっときの表出にすぎなかったのだ。



PS.
長いものを読んでいただきありがとうございます。

その後の経過ですが、文中の医師との診察は、さんざん薬を試した挙げ句、薬では治らないという結論を得て治療は終わりました。ちなみに医師の最後の言葉は、(どうすればよくなるのかアドバイスはありますか?との母に対して)「考えないことっすよ」でした。以後、強迫観念については、治療しないという選択をして今に至っています。

しかし強迫観念とは別に、興奮が止まらなくなるという症状が30歳のときに出て、今度は別の病院の精神科に行き、エビリファイという薬を処方されて収まりました。以後、エビリファイを毎朝6mg飲み続けています。そしてその先生に福祉作業所(a型作業所)を提案されて働くことになり、くだんの支援員の女性と出会うことができました。病気にはなってしまいましたが、薬を飲んでいれば前と変わらないし、病気にならなければ彼女とは出会えなかったことを思えば、いまの人生も悪くないなと思う昨今です(笑)

是れ地上の霜かと

朝起きてブログを見たら驚いた。かの李白が寝台に射し込む月明かりを、是れ地上の霜かとと詠んだときくらいに驚いた(適当)。すべての記事に、ある人がスターをきっかし5個付けているではないか!

僕はその人のブログを見に行った。生き生きと日々を生きている女性という印象。銀魂が好きらしい。少なくとも悪い人には見えなかった。なのになぜなぜなぜ・・・。

実は前にnoteをしていたときも、同じような経験がある。僕の書くものに、なにか人を苛立たせるところがあるのだろうか?あるいは笑われるようなところが?しいて言えばややナルシシックに見えるような書き方をする傾向はあるかもしれない。でも、そんな書き方が好きなんだから仕方ない。不快だったり引いたりするなら、嫌がらせやからかいに出るのではなしに、どうか静かにお引き取り願いたいと思う。

車の免許を取りに行くことにした

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

僕には車がない。車がないと、田舎で暮らすのはちょっときつい。正直な話、男の沽券にもかかわってくると思う。いまの前の職場の所長さんに、そのことをーだから僕は都会に行きたいのだとー相談したことがあるのだけど、相手が持っていれば乗せてもらえばいいだけのことじゃないかと、さらりとかわされてしまった。

くだらないこだわりかもしれない。けれど、毎度毎度車に乗せてもらうなんて勘弁だ。彼女に手を引かれるよりも、僕が彼女の手を引いていたい。

上は、むかし書いたエッセイの冒頭。今回見直してみて、改めて自分の本音を見た気がした。多くの男にとって、男であるということと能動的であるということは不可分で、僕もそんな男の1人だということだと思う。

僕がいま就きたい職は、作業系の肉体労働で、そういう仕事は郊外にあることが多い。だから、万一都会で就業できたとしても、たとえば切られた場合、次の職場は田舎になる可能性が高い。それゆえ僕は、田舎で暮らしていくことを前提に人生設計をしないといけなくなった。僕はコロナが収束次第、車の免許を取りに行くつもりだ。

実は僕はつい最近、行きたい会社の候補が1つ決まったのだけど、その職場が車がないと通勤できないことが、今回免許を取りに行くことを決めた最後のトリガーだった。

その職場は、前にいたa型作業所の取引先だった会社で、何気なしに検索してみたら、ぜひ就労体験をというPDFファイルがでかでかと出てきたのだった。何気なく検索した結果で人生が(否応なく)動き出す―生きるというのは、案外そんな偶然が主成分なのかもしれない。

ちなみに買いたい車だけど、車種までは決めていないのだけど、買うならとにかく赤い車と決めている。赤といってもいろいろあるけれど、なんと言えばいいのか、女性がよく乗ってるような明るい赤ではなく、少し鈍く光るような赤の車だ。

女たちのケアンズ

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

15歳の冬、家族でケアンズに行った
でも思い返すと浮かんでくるのは
ただひたすらに女性のことばかりで

観光客向けの飲み屋の
笑顔の絶えないカウンター
日本の倍はあろうかというアイスココア
誘いかけるようなお姉さんの笑顔に
僕は好かれたのだと思ってしまう
濃厚なショコラが舌の上で慕情と戯れていた

ホテルは入り口から壮麗な通路が続き
受付の若い女性の茶の瞳は湖のような深みを讃えて
その愛くるしいまろやかな陶器のような笑みに
胸中に淡いさざ波の寄せては返しが止まらない

翌日バスに乗るとシャッターの降りた店の前に
憂い顔で座り込む1人の少女
君はなぜそんな顔をしているの?
君はこんな素晴らしい世界に住んでるのに

どんな世界にも影はあるということを
あのころ僕は知らなかったのだ

ヤシの木のしげるバス停で少女が乗り込んできた
僕は彼女がほとんど同じ年頃だってことがすぐわかった
でもただ圧倒されたその体つき
ただ西洋人的というほかないその体つき
男としての誇りやアジア人としての引け目が
少女への親近感と混ざりあって溢れだし
湿った生暖かい風が胸中を吹き荒れてやまなかった

水色の海のほとり
濃厚なオレンジジュースが酸っぱい

どこまでも白と青の広がるその大地で
女たちの笑みの余韻を
少女の肉体の面影を
やがて来たる夢として地平線の果てに託していた

冬の夢

お題「わたしの癒やし」


僕の住む地域ではめずらしく、その朝は雪が降っていた。僕たちはもくもくとボールペンのシール貼り作業をしていた。僕の右斜め前に座る彼女の手は、いかにも急いているような他の作業者たちのそれとは違っていた。シールを剥がす仕草、ペンを箱から取り出す仕草、そしてシールを貼る仕草、そのすべてが、速すぎず遅すぎず、統一された調和あるトーンで流れていた。まるで、いっときもそのリズムを乱すことなく舞い降ち続ける牡丹雪のように。

僕は彼女に惹かれていた。だから、僕はときどき、思い出したように彼女の方を見てしまわないわけにはいかなかった。彼女の流麗な手つきは、ペンにシールを貼る寸前、一寸のあいだ静止する。その瞬間の彼女の、祈るようにひたむきなまなざし―。

貼り終えるやその黒い瞳は僕を見据えていた。脳天が電流が走ったかのように震えた。すぐ下を向いて作業に戻った。疑念と好奇が入り交じったような視線が、脳裏を離れなかった。

彼女は人と距離を置いて接するのが常で、とくに男にはなかなか打ち解けなかった。それでも仲の良い人といるときには、彼女は誰よりも純真な少女のように笑った。いまもあの視線を思い出すたび、僕は夢見心地に思う。もしあの後、たとえば僕と彼女の2人だけが同じ作業を割り当てられるなんてことがあったなら(僕たちの職場では、実際にそういうことがたまにあった)、僕たちは案外、親密になれていたかもしれないと。湛えられていた疑念など薄氷のようなもので、それはすぐと破け、僕はあの柔らかい水のような笑顔に包まれ得たかもしれないと。



「そうそうそうそうっ!」

彼女、あんなにはしゃぐ人だったんだ・・・。春も深まった新緑の頃、声を華やがせながら満面の笑みを湛える彼女の姿が目に飛び込んできたとき、僕はそう思った。でもそれはやはり、どこまでも女性的なはしゃぎ方だった。その笑みには、男がはしゃぐときに見せる"笑い飛ばす"といった趣は皆無で、彼女はただただ純粋に、共感してもらえた喜びを表現しているように、僕には見えた。

他人が自分と同じものを共有しているという、一見なんでもないようなことに、あそこまで喜ぶことのできる彼女の毎日というのは、いったいどれほどの喜びや驚きに満ちていたのだろう?―あの黄色い声と笑顔を思い出すたび、僕は自分の胸のうちに敬虔なものが満ち広がっていくのを感じる。

その一方で、彼女には独特の感情の狭さとでもいうべきところがあった。

小さなスティック状の製品を袋に入れていく作業で、彼女はみなが机の上を手渡しで送ってきた袋に、きちんと製品が正しい数入っているかどうかを計量する役についていた。数が少ないと、彼女はみなに(誰が入れ間違えてるかはわからないから)「1個足りないです。◯個ちゃんとお願いします」と、ややぎこちなく言ったのだけど、そのやや冷たいトーンには、人に対する配慮というものがどこか欠けているところがあった。

目前の女の子が袋を立たないほどに細いまま送ろうとすると、彼女は「もっと膨らませてください」とほのかに怒ったようなトーンで、真剣きわまりない面持ちで-やはりどこかぎこちなく-言った。言われた女の子はムスッとした表情になった。でも彼女はそのことに気づいていない風だった。僕はいまも思うのだけど、あのとき彼女は、女の子の気持ちを想像すらしていなかったんじゃないだろうか。

でもそんな彼女の視野の狭いところに、僕はたまらない愛らしさを感じていた。彼女の、やや固さのあるひたむきな顔が僕は大好きだった。そして、そんなぎこちなさをすべて吹き払うかのようなあの笑顔は、写真に撮って宝物にしたいくらい好きだった。

ある日、僕はおっちょこちょいなことをしでかしてしまう。でもそれは僕にとり多大なる幸運だった。

その日も作業は同じだった。◯◯さん、机に製品出してもらえますか?僕は袋から製品を机にばらまくように出す。出し終えて作業に戻ろうと椅子に座ると、もっともっと出してください、と、やや強めの語気で彼女。結局5袋ほど机に出す。しばらくするとまた製品がなくなってきた。だから僕は前のように5袋机に開けようとした。僕が袋を次々と机にあけていると、そこへ彼女-「◯◯さん、もう終わりの時間だから、そんなにあけなくっていいですよ(笑)」

最初で最後の、彼女が僕に笑いかけくれた瞬間だった。

6月、別れは突然やってきた。コロナ禍により仕事が少なくなり、パートだった彼女は、雨靄(あまもや)の向こうに消えるようにしていなくなった。

とびきり器量の良い女性

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

京都のことを思い出すとなると、僕はいつも幻想的で不思議な心地がする。それは、もう10年以上も前の大学時代の日々の記憶と、京都という街の持つ文化的な象徴性が、二重写しのようになるからだろうか。

金閣寺や南禅寺の古風な雰囲気と、四条の街並みの都会的な雰囲気の鮮やかな対比のさなか、僕は当時憧れていた20代後半だったろう女性の、鮮烈なホットパンツ姿へと誘われる。彼女は四条河原町高島屋前に立つ僕の目の前を、高いヒールを履いて颯爽と歩いていった。僕はその締まった美しいヒップを見て、彼女はこんなにも綺麗なお尻をしていたんだ、と呆けたように見とれていた。

普段の彼女は、いかにも京美人といった和風な雰囲気を醸し出していた。はんなりしているという表現がぴったりしている人だった。金閣寺にほど近い自然食品店のレジにいつもゆるめの黒の服を着て立っていて、僕が店に入ると「いらっしゃいませ~」と、親しみのこもった笑顔で挨拶してくれるのが常だった。それでも彼女の身体の優美な曲線は、そんな服の上からでもはっきり分かった。彼女はとびきり器量の良い女性だった。

そんな風に店に通っていたある日、僕はある光景に目を疑う。その日は彼女は店にいなくて、中年の女性店主が会計をしてくれた。外に出るとあたりはだいぶ暗くなっていた。冬の寒い大気のなか、すぐ近くのバス停で、僕は買ったお菓子をさっそく頬張りながらバスを待っていた。すると目の前を見慣れた女性が通りかかった。彼女だった。でも彼女は僕の見たこともないような彼女だった。濃い紫のマフラーを首に巻いた彼女は、斜め上空を見ながらゆっくりと歩いていったのだけど、その暗闇に白く浮かび上がるどこまでも物憂げな表情に、僕は天地が逆さになるほど驚いた。それはあたり一帯を倦怠で染め上げるかのようだった。

あの夜の手前の彼女の表情は、京都という街が湛える陰影の象徴のように、金閣寺や南禅寺に重なるようにして思い出される。人には色々な顔があるということすら知らなかったあのころ、僕は20歳。もう14年も前のことだ。

彼女が応援してくれている証

お題「わたしの宝物」

前の職場のa型作業所で一緒だった彼女とは恋人でも友人でもなかった。だけど好きなゲームの話をちょくちょくしたし、ちょっとした悩み相談にも乗ってくれた。彼女は僕より年下ながら、僕(たち)の支援員という立場だった。

そんな彼女へと2ヶ月ほど前、職場の電話へ1ヶ月ぶりに電話をしたときのことを、いまでも鮮やかに思い出す。前(つまり3ヶ月前)に電話をした際にとあるRPGの話をしたら彼女は飛びついてきて、すぐに「やるわ」と言って、「また電話して。感想言うわ」と言ってくれていたのだった。

ゲームの話は割りとあっさりと終わってしまったけれど、僕は仕事についての心境の変化について話をした。前回の電話のときには、僕は彼女に、座ってできる検品の、より給与の高い仕事を目指して、(同じく検品の)いまの職場での仕事を完璧にできるようにがんばります、と言っていたのだけど、そんな検品の仕事は求人が極めて少ないことから、僕は立ち仕事や物を持ち運んだりする肉体労働も視野に入れて、筋肉トレーニングを始めたことを明かした。すると彼女は「ええ!?なんかストイックだねえ」と驚いたように言う。僕はそれに逆に驚く。当然のことをしているだけと思っていたから、それをストイックと言われて驚いたのだ。

僕はいまでも、彼女のあの感嘆したトーンを昨日のことのように思い出す。そしてそのたびに、当たり前に生きているだけでも、彼女みたいに、他人からは当たり前でなく新鮮でさえあるかもしれないということを思い出す。すると、自分なりに生きているという何気ないことも、あるいはなかなかに価値のあることなのかもしれないと思うことができるのだった。

そしてなにより、彼女が僕を現に応援してくれているということ。僕はなにか自分が、彼女の視線のうちで生きさせてもらっているとさえ感じることがある。彼女に電話した後、僕は自分がこの世界のうちにしゃんと居場所を得ることができたという気がしたのだ。彼女が見てくれているというただそれだけのことで、僕にとって世界は、うっすらとした暗がりから光輝く大地へと180°変わった。

仕事のことは家族にも言ったから、もちろん親や弟も応援してくれている。それはもちろんうれしいし、感謝もしている。けれど彼女の応援は、それらにも比べ物にならないくらいに、自分をシャキッとさせてくれた。電話口でのみずみずしい彼女の感嘆の声は、そんな僕の宝物であり続ける。